新津晃一、吉原直樹編 「グローバル化とアジア社会」(東信堂,2006年)

グローバル化:「人類が地球という空間に共住しているという認識に伴い、
       新たな規範を共有化していく過程」

ローカル化:「グローバル規範の受容に際してのローカルな場での対応メカニズム」
 1.グローカル化:地域におけるグローバル規範の受容・定着過程
   a グローバル規範の無修正的受容過程
   b グローバル規範のローカル調整過程
 2.ローカル規範の再編成:地域のグローバル化の中で生ずるローカル規範の再構築、
補完、反グローバル規範の形成などの対応過程
   a 肯定的ローカル化
     (1)ローカル規範の再認識・再構築過程
     (2)補完的ローカル規範の形成 
   b 否定的ローカル化
     (3)逃避的ローカル化
     (4)対抗的ローカル化
     (5)反抗的ローカル化

これらaとb、1と2、(1)から(5)はそれぞれ必ずしも対立するものではなく、
ローカルな適応過程においては、両者が並存したり混在したりしている。<政治の次元> <経済の次元> <社会の次元> <文化の次元>


1176390362[樋口直人]


梶田孝道、丹野清人、樋口直人著 「顔の見えない定住化」(名古屋大学出版会,2005年)

第3章 移住システムと移民コミュニティの形成―移民ネットワーク論から見た移住過程―

【まとめ】


移住とは…安価な労働力需要に対する自発的従属??
     制約された機会からの「退出」?(Hirschman)
     単なる従属ではなく、「抵抗」という能動性も併せ持つ(Constable)

1.理論的前提
 ・移民ネットワークと社会的資本
  移民ネットワーク:個々の移民が利用可能で、移住過程に影響を及ぼす社会関係の総体
           =移住システム(移動局面)+移民コミュニティ(居住局面)
     鄯.移住過程の発生と展開の前提となる存在
       …送出地域と受入地域を接合する
     鄱.単なる個人的なつながりのみならず、各斡旋組織や交流協会、支援組織も
       そのようなネットワークの構成要素となりうる

  社会的資本(社会関係資本:social capital):ネットワークその他の社会構造に
       帰属することを通して得られる利益を確保する能力(Portes)
       …人的資本(個々人の学歴・技能)、経済的資本(カネ)に代わり、
        資源をもたらすもの(コネ)
       →社会的ネットワークにおいて持続的な関係が維持される(「信頼」される)
        ことによって形成

 ・移住システムと移民コミュニティ
  移住システム:移住を促進し、またその規模と移住先を決定する社会的ネットワーク
    移住ネットワークの2形態
     ?相互扶助型移住システム  「互酬」に基づく資源取引
     ?市場媒介型移住システム  「市場交換」に基づく資源取引

    ?…特定の相手との相互扶助関係―社会的資本の源泉になる
    ?…貨幣を介した任意の相手との取引―社会的資本の源泉となりにくい

  移民コミュニティ:移民特有のニーズに基づく制度が発達した社会空間
    →どのように形成される?=「誰」が「どのように」資源を提供するのか??









顔の見えない定住化―日系ブラジル人と国家・市場・移民ネットワーク

顔の見えない定住化―日系ブラジル人と国家・市場・移民ネットワーク

Miles, Robert and Brown, Mlacolm (1989,2003) RACISM Second edition, London;Routledge

 Introduction(3-18)


(Said 1983からの引用 省略)

多くの社会科学的な概念と同様に、レイシズムは普通に用いられ、意味をもつものである。ここ50年くらいの間で、レイシズムは日常の言説においても、また社会学理論においても重要な概念となった。「コモンセンス」にまつわる言説を構成する他の要素と同様、そのような日常言語の大半は批判的ではなく、自明のものとして捉えられてきた(Gramsci,1971)。しかし、それと同時にレイシズムという概は、道徳的にも政治的にも、とてもネガティヴで危険な要素を孕むものとされている。それゆえ、誰かがレイシストの意見を表明したと主張する事は、その人が非道徳的であり、恥ずべき者であると弾劾する事になる。つまり、レイシズムは政治的な悪態(political abuse)の用語へと変化を遂げたのである。そしてこの事が、社会学者によるレイシズム概念の使用をひどく困難なものにさせてしまっている。どんな概念であろうと、その概念を明確に定義する事は、学術研究にはもちろんのこと、政治的もしくは道徳的な議論の場においても極めて重要である。
この本の基本的なテーマは、社会科学的な分析においてレイシズムという概念の使用を継続する必要性を詳述することであったのだが、この本の初版はそれとは異なる2つの議論が注目された。それは、一つはレイシズムという概念の定義をめぐる議論であり、もう一つは“race relations paradigm”への批判であった。レイシズムを定義しようとする事は、衒学的で時代錯誤的と思われるかもしれないが、政治的・道徳的な議論と具体的に結びついている。ゴールドバーグ(1993)は、レイシズムの定義について演繹的仮説ではなく経験的な観察に基づく“地に足の着いた”ものでなければならないと主張している。このような主張は説得力があり、20世紀哲学におけるヴィトゲンシュタイン的な感覚とも合うものではあるが、次の挙げるような“政治的な”規範のようなもの(imperative)とのバランスを保つ必要があるだろう。仮にレイシズムが政治的に、若しくは道徳的に許されない事と定義されているならば、そこには「レイシズムとは何か」についての合理的なコンセンサスが存在しているはずである。
レイシズムを定義する事は、為された言説がレイシスト的であるか否かを決定する単一な基準を立ち上げる事ではない。しかし、定義抜きでは、その概念は意味のないものになり、レイシズムへの対抗は妨げられてしまう。とはいえ、もしレイシズムがあまりに広く定義されるならば―例えば「すべての白人は、レイシストである」や「みんながみんなレイシストである」というように―、その概念は再び無意味なものとなり、レイシズムは非難から免れてしまう。


西川長夫著 「[増補]国境の越え方」(平凡社,2001[1992])

Ⅲ 日本における文化受容のパターン

【要約】
わが国の近代化の過程の中で、欧化主義的な傾向と国粋主義的な傾向の対立・葛藤があり、それが今日まで続いていることがしばしば指摘される。欧化と回帰は日本の近代社会・思想史を特色付ける重要な現象であり、この現象に注目した人物として加藤周一が挙げられる。加藤は「近代日本の外部の世界との関係は、外部に対抗するために外部から学ぶというこの《対して》と《から》の逆説的で二重の関心の構造からはじまった」と指摘し、この二重構造の変遷を辿ることで、欧化と回帰というサイクルを描出した。ただ、欧化と回帰という二項対立のみを取り上げると、それは必然的に欧化の土着化という点に着地してしまう。欧化でも国粋でもない、「世界化」という第三項は想定できないのだろうか。
又、欧化と回帰のサイクルは近代国民国家の枠内で、即ち国民統合のイデオロギーの枠内で成立している点にも留意しなくてはならない。近代的な国民国家形成には、政府・軍隊などの国家装置の強化と国民統合のイデオロギー(それは本質的に国粋的なものである)形成が必要とされる。ただ、その形成過程自体は「欧化」であった。近代国民国家は、世界国家システムへの参入と国内における国民統合という、時に相矛盾する面を有しており、欧化と国粋という問題は国民国家の原理からの考察も必要とする。
日本の支配的イデオロギーを欧化−国粋という二項対立で捉えグラフ化すると、20年周期の2度の断絶(明治維新/敗戦)を伴う3つのサイクルとなる。このサイクル自体の合理性はともかく、加藤の指摘するように、強いられた近代化によって組み込まれた対抗的な二重構造が欧化と国粋のサイクル化を生み出しているのかもしれない。
明治維新から日露戦争にかけての第1のサイクルを特徴付ける語句としてこの時代の支配的なイデオロギーである「文明」が挙げられる。「文明」とは理念的には人類の進歩と普遍的な価値の確立を目指すものであるが、現実的には早期に国民国家形成を実現したイギリスやフランスの支配と拡張を目指す国民意識であった。「文明」のイデオロギーによって、世界は文明−野蛮に二分され、文明による野蛮の文明化として植民地主義は正当化されることとなる。
いわゆる大正デモクラシーから一五年戦争に至る第2のサイクルを特徴付ける語句としては「文化」がある。この「文化」とはドイツ語のKulturの訳語であり、第2の欧化においては、英・仏流の文明化ではなく、ドイツ流(つまりヨーロッパ後発国民国家流の)に倣った欧化であった。フランス的価値としての「文明」に対抗するものとしてドイツで形成された「文化」概念は、「文明」の物質性・普遍性に対してそれぞれ精神性・個別性を強調するものであり、後発的な国民国家国民意識の表現であったといえる。
第3の欧化を特徴付ける語句もやはり「文化」であった。ただ、この「文化」とは英語のcultureの訳語であり、それ自体はアメリカ的なデモクラシーの概念に結びつくものだった。ただ、このcultureとしての「文化」は(時に意図的に)Kulturとしての「文化」と混同されることとなる。このような「文化」概念の混同が1950年代後半から60年代にかけての日本回帰の潮流に結びついたのではないだろうか。
また、このサイクルの中で、国民統合の強力なイデオロギー装置であった天皇制は実は欧化と回帰の葛藤・対立を吸収する役割を果たした。相克する欧化と回帰は、天皇という統合シンボルによって統一され、それは今日まで有効に機能している。
それでは1960年代以降、特に90年代以降の欧化と回帰が平行しているような状況はどのように捉えられるだろうか。グローバル化と呼ばれる世界秩序の再構築の中で、日本の国民国家の枠組みが動揺しており、国籍や国民文化などの概念が変容していくことは容易に予測される。このことは支配層や国民一般に不安や恐怖心を喚起し、国民統合のイデオロギーを強化する方向に働く。また、加藤が指摘したような<対して>と<から>という二重構造が解消されたわけではなく、欧化と回帰のどちらの潮流が強く現れるということは今後も起こりうるだろう。ただ、長期的に見ると、そのような波動は次第に弱まっていくのではないだろうか。それは<対して>と<から>の二重構造が解消されるため、だけではなく、「世界化」という第三項に日本が次第に向かっている、と著者は考えるためである。

【引用】
「わが国の近代化の過程のなかで、欧化主義的な傾向と国粋主義的な傾向の対立葛藤があり、それが現在に至るまで続いている」(p.127)
「近代日本の外部の世界との関係は、外部に対抗するために外部から学ぶというこの《対して》と《から》の逆説的で二重の関心の構造からはじまった」(p.129,加藤周一『日本人の世界像』p.365からの引用)
「近代の国民国家は世界の国家システムへの参入と国内における国民統合という、時に相矛盾する二面をもっており、前者の要素が強く働くときは国際主義が表面に現れ、例えば一国家の国際社会における孤立や危機的状況によって後者の力が強く働くときはナショナリズムが表面に出てくる」(p.133)
「「文明」とは理念的には人類の進歩と普遍的な価値の確立をめざすものであるが、現実的には早期に国民国家形成を実現した西欧先進諸国(英・仏)の支配と拡張をめざす国民意識であった。「文明」のイデオロギーによって世界は文明と野蛮に二分され、植民地支配は文明による野蛮の文明化として正当化される」(p.140)
「フランス的な価値としての「文明」に対抗してドイツで形成された「文化」概念」(p.142)
「相克する欧化と国粋は、天皇というまさしく統合のシンボルにおいて見事に統一」(p.148)
「今後しばらく国粋的な傾向、日本回帰の動きは、回帰すべき日本がもはや現実には存在しないだけに、いっそう強化される」(p.150)

【コメント】
多少疑問を抱く箇所もないわけではなかった。欧化−回帰の二項対立を打破するものとして挙げられる「世界化」であったり、このようなサイクルを持ち出す意味であったり。内容が抽象的で、実証不可能な点も見受けられた。けれども、「文明」・「文化」の概念や両者の相克、欧化と回帰のダイナミクスは興味深かった。
一つだけ述べるとすると、「今後しばらく国粋的な傾向、日本回帰の動きは、回帰すべき日本がもはや現実には存在しないだけに、いっそう強化される」(p.150)という一文について。
この一文の「回帰すべき日本がもはや存在しない」という点と「しないだけに、いっそう強化される」という点。「回帰すべき日本」なるものは以前には存在していたのだろうか。「回帰すべき日本」とは日本人が抱く「想像された日本」であり、それ自体が一つの国民文化なのではないのか。また、なぜそのような「回帰すべき日本」が存在しないことが、より一層日本回帰の潮流を強める事になるのだろうか。このような逆説的な文は効果的であるし、この文自体の整合性は否定しない(つまり私もそれが想像上のものであるからこそ、より強固にそれを追い求めるようになる、とは考えている)。けれども、それはちゃんと理論付けられた上で語られなくてはならないのではないだろうか。「存在しないから弱体化していく」というのは容易に想像がつく。けれどもその逆というのはなかなか理解しにくい。というのも、「なぜ回帰すべき姿が見つからないことが、回帰の潮流を強めるのか」を私自身が上手く説明できないから。この点を説明する事は日本の国粋主義だけでなく、他の国民国家におけるナショナリズム理解にもつながるものだろう。
(追記) この答えとまでは言わないが、そのかなりの部分を『ホワイト・ネイション』のなかでガッサン・ハージは説明することに成功したように感じられる。精神分析ナショナリズム研究に適用することについての批判もあるだろうが、ハージはラカン的な精神分析ブルデューの理論を組み合わせる事で革新的なナショナリズム論を構築したのではないだろうか。

〔増補〕国境の越え方 (平凡社ライブラリー)

〔増補〕国境の越え方 (平凡社ライブラリー)


西川長夫著 「[増補]国境の越え方」(平凡社,2001[1992])

Ⅱ ヨーロッパのオリエント観

【要約】
この章ではサイードの『オリエンタリズム』を異文化の交渉という観点から読み直す。その上でサイードが東洋−西洋、われわれ−彼らという二項対立を強調するあまり、見逃してしまった解決への道程を探ることを目指す。

ここでは『オリエンタリズム』の中から3つのシーンを取り上げる。一つはダンテの『神曲』の中に表れるイスラームキリスト教という宗教上の問題であり、次にフローベールロマン主義者におけるオリエントという問題である。そして最後にマルクシズムが陥ってしまったオリエンタリズムという問題を取り上げる。
『東洋全書』でのムハンマドに関する記述に代表されるように、イスラーム(東洋)はキリスト教(西洋)によって位置づけられ、性格づけられてきた。このような西洋による東洋の図式化が最も劇的に為されたのが、ダンテの『神曲』であった。サイードはダンテの世界観の中でムハンマドがどのように描写され、位置づけられているのかを説明することで、キリスト教世界におけるイスラームの意味を示唆する。それは異文化が「他者」として形成されていく過程であり、「ヨーロッパとオリエント(特にイスラーム)の遭遇によって、オリエント(イスラーム)はアウトサイダーの典型となり、中世以降ヨーロッパ世界はこれに対抗する形で形成されていった」。このような2つの世界が遭遇することで逆説的に両者の距離が広がっていくという点は注目に値する。両者はともに「自分の殻に閉じこもってしまう」のである。しかし、ここで〔例えば日本人などの〕もう一つの観点を導入すると、キリスト教イスラームの相違点よりも寧ろその共通点が際立ってくる。
オリエントはロマン主義的な理念と夢想の対象であり、源泉だった。サイードはここで、オリエントへの巡礼者の内的な葛藤とその間隙に忍び込むオリエンタリズムに注目する。オリエントに対する西洋人のスタンスは大まかに言えば2つに分けられる。一つはイギリス人的な、政治的統治者としての観点であり、もう一つはフランス人的な観点である。オリエントの政治的統治者でなかった彼らはこの地において、深い喪失感に襲われた。オリエントにおけるフランスの不在とイギリスの存在は、19世紀以降発動されるフランスの「教化の使命」の切欠にもなる。シャトーブリアンのオリエント訪問について、その動機の一つに「事物をあるがままにではなく、彼の意図した通りに見る必要性」があったことをサイードは発見する。その帰結として彼はオリエントにおいて、東洋は征服される必要があり、それは征服というよりも解放というべきなのである、という論理を主張するようになる。こうしてオリエントにおいて一度は喪失した自我が再構築されるとき、彼はオリエントを表象し、それに代わって語る存在となる。
これ以降のフランス人巡礼者の多くはこのシャトーブリアンの影響を大きく受けることになる。その例外的な存在が、ネルヴァルやフローベールである。彼はネルヴァルのオリエントに対する強烈な個人的欲求がオリエンタリズムに屈しなかった故に、一方、フローベールについてもオリエントの「不可解さ」(それはシャトーブリアンらによっては簡単に解決されるものであった)を解決しようとはせず、ひたすらそれを観察し続けた故に、それぞれそれ以前のオリエント観から脱却できたと評価する。ただ、それに続けてサイードは彼らのオリエント観ですら、「我々の世界」とはかけ離れた世界としてオリエントを見なしていた点で結局はオリエンタリズムに帰結すると結論づける。
次いで、サイードマルクスのアジアに関する論説から、彼のオリエント観が当時のロマン主義的な潮流の影響を受けていたことを明らかにする。自らの倫理的観点に基づいてイギリスの植民地主義支配を非難してきたはずのマルクスがなぜ旧来的な東西不平等論に陥ってしまったのか。この答えとしてサイードは、人間を集合的見地から一般化、類型化して捉える人間観、と彼が使用せざるを得なかった語彙自体に内包されていたイデオロギー性という2つのファクターを取り上げる。それ故に彼の思考・理論には本質的にオリエンタリズムと共通するものがあったのではないか。それは具体的には「文化」・「文明」という概念であり、所謂「発展段階説」であった。マルクスの言説の根底にはこのような西欧中心の文明概念が存在していた。サイードの言うオリエンタリズムとはすなわち、この西欧中心的文明概念とそれに基づいた抑圧システムのことではないだろうか。ここで提起される問題はただ西洋−東洋の図式の中のみにあるのではなく、地球上の様々な問題と広く通底するものだろう。

このようにサイードオリエンタリズムの定義はそれまでとは大きく異なるものであった。それは西洋の側から見たオリエンタリズム概念を、東洋からのそれに置き換える作業だったといえるだろう。ただ、彼の議論を追っていくと、〔それ自体は様々な場面を切り取ったものなのだが〕常にそれが一つの結論に終始し、更にその解決の糸口が見出されない点に気がつく。これはサイードが、西洋−東洋という二項対立を繰り返し強調することで、オリエンタリズムに内在する差別の支配の構造を暴き出すことを意図していたためと考えられるが、この意図があまりに劇的に成功してしまったため、彼のオリエンタリズム論はその出口を失ってしまう。オルタナティヴの体系を提示できなかったサイードが最終章で「異文化とは何か?」を問うているのは、彼が議論を進める際に「文明」や「文化」といった概念のなかに含まれる攻撃性やイデオロギー性が議論を進めていく中で露呈し始め、それらの概念にサイードが疑問を持つようになったためだろう。『オリエンタリズム』のなかでサイードが薄々感づいてるように、「知」や「文化」といった概念には本来的に他者に対する支配の意思が含まれている。それはオリエンタリズムと通底するものといえよう。彼が『オリエンタリズム』のなかで文化間交渉の際に生じる「変形」を東洋→西洋という一方的なもので捉えてしまったのもこのような概念自体のイデオロギー性に無自覚であったためだろう。
このようにサイードオリエンタリズム論は、単にオリエンタリズムという観念体系を暴き出すだけではなく、それを支えた既成概念の危うさを露呈することによって、新たな文化理論の必要性とその方向性を示唆したのであった。

【引用】
「いわゆる国際化や異文化交流が、つねに友好と平和のなかで人道主義的に行われているものではなく、しばしば流血を伴う暴力的な行為であること」(p.72)
「二つの世界が遭遇する事によって、両者の文化的、知的、精神的な距離がいっそう広がるという文化交流史のパラドクス」(p.78)
「オリエントはキリスト教に限らず、ロマン主義的な理念と夢想の対象であり源泉ともなった」(p.81)
「「不可解さ」を解決するのは既成のイデオロギーである」(p.91)
「一個人の内的な問題も、それが大勢の人びとによってくりかえされれば一つのクリッシェとなり、大衆文化のなかで商品化される」(p.95)
「サイードオリエンタリズムと呼ぶ西洋人の意識構造は、日本を訪れる西洋人の場合も根本においてはそれほど変わっていなかった」(p.97)
マルクス自身の思想や理論には、本質的にオリエンタリズムと共通するものがあったのではないか」(p.107)
「サイードオリエンタリズムと見たものは、より本質的には西欧的文明概念ではなかったか」(p.108)


【コメント】
要約というよりも内容説明という感じになってしまったが、非常に内容の濃いものであった。『オリエンタリズム』を改めて読み直す必要性を強く感じた。
イードがそして西欧がいうオリエントとは何処のことなのだろうか。それを定義するのはまさしく西欧であるが、確かに中近東と日本ではオリエンタリストへの対応が全く異なるだろう(仮にオリエンタリストがそこに求めているものは同じだったにせよ)。「文化」・「文明」の暴力性には我々は無頓着である。そしてその無頓着さが現実に物理的な暴力を生み出してしまうことを忘れてはならないだろう。「文明化」とは社会における非暴力化などではなく、その暴力を隠蔽する過程なのかもしれない。

【参照すべき文献】
・E.サイード 「オリエンタリズム」(平凡社,1993[1978])
福沢諭吉 「文明論之概略」(岩波書店,1962[1875])
などなど

〔増補〕国境の越え方 (平凡社ライブラリー)

〔増補〕国境の越え方 (平凡社ライブラリー)


西川長夫著 「[増補]国境の越え方」(平凡社,2001[1992])
Ⅰ 日常世界の中の世界感覚

【要約】
「世界地図」は、地球は諸国家によって構成され国境によって区切られ色分けされた国民がそこに存在する、というイメージを私たちに植え付けている。国民国家による世界の分割が始まったのはここ200年のことに過ぎないのに、私たちはそれを所与のものとして捉え、恰も絶対的であるかのように錯覚してしまう。それがもつ「国民−非国民(外国人)」や「我々−彼ら」といったイデオロギーは、国家と民族と文化は一致するという偏見を産み出し、ナショナル・アイデンティティの神話とそれを失うことへの恐怖を創出し、非国民への反感にもつながっていく。今日、移民・資本・イデオロギー・環境問題・リスク・情報などの移動によって、その国境は侵犯され国民国家は歪なものになっている。にも拘らず(というよりそれ故に)、我々のそれに対する反応は極めて愛国的で自国中心的なものになっている。このような状況の中で、「彼ら」と「我々」の境界はどのように設定されるのか、そしてその二分法を放擲し克服することは可能なのか。
日本人は欧米に対しては親近感を抱くものの、アジアに対しては無関心である、とされる。このような人種・国家イメージはどのように創出され維持されるのか。それは国内的には日本社会に内在する差別構造によるものであり、対外的には国境というシステムによるものと考えられる。そして、また私たちの「我々」、「日本人」という自己イメージや論理性に欠如している愛国心もまたこのような観点から分析されるべきだろう。


【引用】
国民国家の体制が足元から崩れているのに、あるいはそれ故にいっそうわれわれは国民国家イデオロギーに執着し、深くとらわれている。」(p.20)

外国人労働者の存在は国籍の概念を変え、国家の概念をつき崩す。」(p.20)

「[人種差別の感情を生み出す]その構造的なものとは何か。私は国内的には現在の日本社会自体に内在している差別の構造であり、対外的には国境の存在だと思う。社会は差別を必要とし、国家は仮想敵を必要とする」(p.47)

「民族や国民のイメージは結局は国家のイデオロギーが作り出した幻影であって、およそ実体とはかけ離れたものである」(p.47)

「人種差別は現実に存在しているのであり、われわれはそれを曖昧な言葉や人道主義的な言葉でおおいかくしてはならない」(p.61)

「《日本を知っているというけど、君は本当に日本を知っているのか》」(p.61)

「国民性や人種のイメージなどというものは大部分が思いこみや偏見の産物」(p.61)


【コメント】
最初の章だけあって概論的な内容に終始しているが、その中でも再三指摘しているように、人種に基づいた偏見や蔑視、ステレオタイプは現実に存在している。そしてそれを産み出し維持するシステムを明らかにすること、これが本書の目的なのだろう。そしてその中で、国民国家やそれに対する愛国心はどのように位置づけられるのだろうか。

〔増補〕国境の越え方 (平凡社ライブラリー)

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